プロフィールProfile

おおつか絹子

生年月日:1967年12月22日 八幡東区前田生まれ

趣味:ゴルフ、音楽鑑賞(中学→合唱部)、ドライブ(愛車はプリウス)

好きな言葉:天は自ら助くる者を助く

人からよく言われること:打たれ強い、好奇心旺盛

略歴
  • 1986年

    福岡県立東筑高等学校卒

  • 1990年

    東京女子大学 文理学部 英米文学科卒

  • 1990〜1995年

    大学卒業後、衆議院議員事務所、外資系証券会社、参議院議員事務所(いずれも東京勤務)を経て帰福

  • 1996〜2002年

    インテリアショップや専門学校に勤務

  • 2002〜2009年

    株式会社リクルートに勤務
    ※2005~2009年 ホットペッパー北九州編集部・編集長

  • 2009〜2022年

    衆議院議員 緒方林太郎事務所に勤務(政策担当秘書)

  • 2023年4月

    福岡県議会議員 当選

おおつか絹子の生い立ちBackground

誕生〜大学時代

誕生

1967年、昭和42年八幡東区前田にて生を受けました。
その年の出生数は193万人で、2021年の出生数が81万人であることを考えると、隔世の感があります。

幼少期〜高校時代

幼稚園は、済世第一幼稚園に3年間お世話になり、前田小学校、花尾中学校と進み、高校は東筑高校に進学しました。
小学生の頃は水泳部とバスケ部、中学時代は合唱部、高校時代はテニス部に在籍しました。スポーツと音楽は何かしら趣味として続けています。

(写真下:スーツ姿の父とその隣が母)

前田地区居住時

前田地区に居住時、自宅には多くの来客がありました。自営業だった父の仕事仲間の方と、地域活動や PTA に積極的に参加していた母の関係の方がお見えになり、我が家は地元の人が集うサロンのようでした。
当時の思い出話をしてくれる方とお目にかかると、時を超えた縁をいただいているとありがたく感じます。

(学園祭でのショー)

(卒業式)

大学時代

大学は上京し、東京女子大学で英米文学を学びました。ヘミングウェイ研究の第一人者である今村楯夫先生に師事し、学友にも恵まれ充実した日々を過ごしました。

ジャズダンスのサークル活動では、週3回のレッスンと並行して各種イベントを開催。仲間と協力してプロジェクトをやり遂げたことは、自分の糧になっています。

社会人時代

地元へ帰郷

1990年に大学を卒業し、衆参の国会議員の事務所や証券会社で社会人経験を積みました。父の体調が悪化した 1995年帰郷。東京で過ごした9年間は、自分の視野を広げる良い機会だったと思います。このような機会を与えてくれた両親に心から感謝しています。

翌1996年に父を亡くし、3年後に同居していた祖母が他界、母も脳梗塞に倒れるなど、私が家族を支える立場に。

広告雑誌の営業企画として

飲食関係の資格取得後、飲食店や美容室を紹介するクーポン雑誌発行の(株)リクルート・ホットペッパー福岡編集部に入社。広告のコンサルティング営業として持ち前の好奇心で仕事に取組み、成果を出していきました。飛込営業も多く、行動力や打たれ強さが培われました。一方で広告の原稿制作にも携わり、表現方法、集客プランの企画を勉強しました。

そんな私に、北九州編集部への異動の打診があった 2004年の夏のこと。仕事は多忙を極め、住んでいる八幡には、ほぼ寝るためだけに帰る日々。福岡を満喫していたこともあり、北九州への異動をためらっている自分がいました。いつもの通勤で、中央町で高速バスを待っていた時のこと。辺りを見回すと、あまりに静かで寂しい光景が目に映り、何故だか、無性に涙が止まらなくなりました。

生まれ育った街から福岡に通勤し、充実した気になっている自分。八幡の人間が 福岡を盛り上げ、自分の街をないがしろにしてはいないか。「生まれ育った街をもっと元気にしたい」と考え、北九州への異動を決意しました。今思うと北九州・八幡の役に立ちたいと決意した原点かもしれません。

北九州編集部へ異動

北九州編集部に異動して1年後、ホットペッパー北九州版の編集長(兼、営業責任者)に抜擢されました。人材育成や営業戦略の立案、誌面広告からインターネット広告の移行等、多くを学び経験し、当時のメンバーと激務をこなしながら業績を上げることができました。優秀なメンバーが多く、私が助けられていたかもしれません。

また、「私の街を元気にする」をコンセプトにしていた当時のホットペッパー。小倉の街には、それなりの貢献が出来たと思えたのですが、八幡の街を元気にすることには、ほとんどつながっていませんでした。2009年3月契約満了に伴い、 (株)リクルートを退社。

政治の世界へ再び

選挙ボランティアを経て公設秘書へ

次の仕事こそ自分の思い形にする仕事をしたいと考えていた時、議員事務所勤務時の元同僚から、緒方林太郎氏が地元・北九州で国政選挙にチャレンジするので、お手伝いをしないか?との提案がありました。
当初は週2~3回、ボランティアで立候補届出書類の作成や選挙ポスターの設置準備でしたが、色々な方と関わる中で選挙や政治の面白さを再認識。徐々に深入りしていき、選挙直前にはスケジュールの管理や集会の運営などもサポートすることになりました。リーマンショック後の民主党へ政権交代した選挙で、圧勝で初当選を飾りました。

そして私は公設秘書に就任し、スケジュール管理や代理出席をこなしながら、有力支援者の方、自治区会の方等と関りを深め、 後援会拡大に励む日々が始まりました。